小鍋で紅玉を煮る。

私は生のりんごが食べられない。
アレルギーではないので、正確には食べることはできるのだけれども。
お洒落なカフェで注文して付いてきたサラダにスライスしたりんごが入っていても、周囲に何か悟られること無く普通に食べることだってできる。でも苦手なのだ。

幼い頃は母の切ってくれたりんごのうさぎさんを喜んで食べていたはずなのだが、いつからかその食感を受け付けなくなってしまって現在では生のりんごに歯をあてただけで鳥肌がたつ始末である。

それでも生の食感以外は変わらず好きであるので、毎年こうして旬が訪れると加熱して食べるのである。
煮りんご、焼きりんご、アップルパイ、タルトタタン。

そのまま食べるにはきっとふじやつがるがおいしいのだろうけれども、加熱して食べるには紅玉がとてもおいしい。
いま暮らしているところの近所には紅玉を売っている食料品店がないので少しさみしい。

こうぎょく、べにだま、るびー。知恵の実。禁断の果実。
りんご、とてもすきなモチーフでもあるのでいつかまた生のままでもおいしく食べられるようになるといいな。

十月になってしまった。おくとーばー。

先月は少しも本を読まなかった。一冊もだ。何をしていたのだろう。寝ていたのだろうか。
素敵なブックカバーを手に入れたことだし、また新学期から常に文庫本を持ち歩く生活を始めようと思う。

すっかり秋めいて涼しくなってきたせいかお茶の消費ペースが遅くなってきたので水出しを試みる。
渋みが少ないのか口当たりがやわらかい気がする。良い。
夜寝る前にセットするのをしばらく続けてみよう。

記録をつけるのをやめていたら昨晩みたゆめをうまくおぼえていられないようになったのは良いのか悪いのか。
おぼえている必要なんてないのだけれども。またしばらく記録してみる。
徐々に箇条書きではなく、流れを文章にできたらいいなあ。

しばらく引きこもって限られた一部以外との交流を絶っていたら言葉の吐き方を忘れてしまった気がする。

てすてす。
たんぶらにて日記といふものをしてみんとてするなり。